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2025/08/24 23:39 |
Madchester and Brit pop

LIVE FOREVER




英語「Brit Pop」狂気のマンチェスター「Madchester」ムーブメントが、別名Eと呼ばれる、ドラッグ、エクスタシーの蔓延と共にその終焉を迎えた、90年代の初頭。ニルバーナーのカート・コバーンに代表される、グランジ音楽などのアメリカナイズされた英国のプラスチックカルチャーに絶望感を感じ、英国的音楽を推進する為に生まれたムーブメント。


Blur vs Oasis


このムーブメントの初期で、労働者階級出身、スウェードのバーナード・バトラーは、英国の階級制度の絶望感を曲にし、デビッド・ボーイ風のフェミニスト的アプローチで、古典的な英国ロックを体現した。それを追うように、Blurの中流階級向けのパーティ音楽へのアプローチは、自他とも認める、このバンドのフロントマン、デーモン・アルバーンのチェルシーサポの位置づけで、彼の中流キャラクターを完全な物にした。後に、彼らとの対決姿勢を強める、Oasisのギャラガー兄弟のマンチェスター・シティーサポへの強い繋がりは、音楽とフットボールの強い関係性を際出させる結果となる。


彼らのコンサートでは、同じ地域のマンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)の罵倒が合唱され、当時、2部のリーグに甘んじていた、Cityにその財力で、資本参加するのではとの噂が紙面を賑わす。The smithのジョニーマーとのCity応援団は花を開き、音楽とフットボールのリンクは完全なものになった。


 World In Motion


World in Motionこれより、前に、マンチェスターのカルトバンド、New orderは、彼らの突然の沈黙を破って発表した、「World In Motion」で、これまでのフットボール応援歌とは違う、ロック色を濃くし、その中にも、ユーモアセンスに溢れた、フットボールソングの中でも、名曲とされる、コミックソングを産み出す。ボビー・ロブソンが率いる、イングランド代表は、予選無敗で、イタリア大会に臨むことになる。その勢いとともに、彼ら唯一のUKチャートでのナンバー1を獲得したシングルでもあり、商業的なフットボールソングの可能性を示した、貴重な曲でもある。1990年のイングランド代表には、ポール・ガスコイン、ギャリーリネカー?など、多彩なプレヤーが存在していた。この曲の中で、見事なラップを披露している、ジョン・バーンズは、ジャマイカンで、その質は、レゲーにしか聞こえないが、曲のアクセントとして大きな役割を果たしている。サンプリングで、66年の決勝、西ドイツ戦の有名な、Kenneth Wolstenholme の台詞「They think it's all over」が使われ、栄光をもう一度と、その願いは強い。後のThree lionsに繋がる、音楽とフットボールのリンクとしては重要な役割を果たしている。


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2007/03/19 07:11 | Comments(0) | TrackBack() | Music
チェルスキー

複合施設、ロンドン、スタンフォード・ブリッジをホームスタジアムに持つ、イングランド、プレミアリーグに在籍する、チェルシーの酷評。成金、ロシア人によって、買収されたことによって生まれた。


歴史


キングスロードの華やかなサマーコレクションは、フットボール界の伝統。其の伝統は、ロシア人の富豪に受け継がれたが、今も尚、根強く残っている。元来、このクラブは、お隣のフルハムFCの為に作られたスタンフォード・ブリッジが、彼等に拒否されたことで、新しいこのスタジアムに似合うチーム作りを模索する事から始まった。


アメリカ式スポーツの注入、ケンベイツ時代


80年代の、シェッドエンドの人種差別主義者の増大と、莫大な負債の問題に救いの手を差し伸べたのは、ホテルを軸にアメリカ的複合施設の普及を模索していた、ケンベイツだった。彼は直に、この悪名高い、シェッドエンドの廃止と、スタンフォード・ブリッジの再開発に着手する。その結果、60年代のような、華やかさが、グレン・ホドルと言うスターを連れてくる事で、完璧になった。ホドルは急進的なフットボールを繰り広げ、後に、FAカップ決勝までチェルシーを導くことになる。


その後も、キングスロードのサマーコレクションは続いたが、ケン・ベイツの預金額が底をつくのと同じく、資金源だった、クラブの筆頭株主、マシュー・ハーディングのヘリコプター墜落事故で、このクラブの結末は大凡、予想ができた。新世紀に起こった、フットボールバブル崩壊の影響は、このクラブにも大きく影響を与えた。サマーコレクションで獲得した豪華品の維持費は、クラブ財政を圧迫する。TV放送権料の下落は、クラブ経営の危機をもたらし、ビジネス紙には、売り渡す候補の名前が陳列される。


ロシアマネー


エリツイン政権時代のマフィアが蔓延り、権力と金満政治は、彼に石油と言う莫大な資源を与える事になる。ロシアの新興資産家、アブラモビッチは、彼の莫大な資産を投げ打って、この悩めるロンドンのクラブを購入し、ロンドンのシティ族を震撼させた。しかし、プーチン政権の中で、ユーコスのホドルコフスキー逮捕などの一件のように、急激に力を伸ばしつつあるこの新興資産家に対する冷たい待遇の中、次は彼の番だと、英国のメディアは、相変わらず、このロシア人には冷たい。彼の乗っ取りが行われてから、以前のように、キングスロードのサマーコレクションがその規模を増大させながら復活し、フットボールバブルの崩壊にあって、ここだけ華やかだ。



2007/03/17 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | チェルシー
ガナーズ

英語「Gunners」ロンドンにホームを持つ、イングランド、プレミアリーグ所属のフットボールチーム、アーセナルの愛称。


彼らの発祥が軍事工場であったことが、この愛称の起源だとされている。因みに、英国タブロイド紙のお得意は、「Gunners」をアメリカ的綴り、「Gonna」に置き換えることにあり。紙面を良く飾る。






歴史


アーセナル、通称ガナーズと言われているこのチームは、ロンドン聖職者の余暇クラブとして発展した多くのクラブと違い、特需の為に建設された軍事工場のスコットランド系“労働者階級”が集まって産声をあげたロンドンの中では泥臭い部類のクラブだと言われている。北部で既に始まっていた職業フットボールの波を南部で逸早く取り入れられたのも、この歴史が大きく影響しているのは否定できない。北部の労働者階級で結成された職業選手達で形成されるクラブ達の躍進と同時に、彼等も南部では敵無しと言う無敵さを誇っていた。 第一次世界大戦後、当時財政難で2部降格していた彼等であったが、拡大する1部リーグに同じロンドンに本拠地を構える、スパーズの犠牲のもと、参加させてもらえることになる。その後、彼等は1部、プレミアと降格の経験はない。ノーサンプトンとリーズで指揮した後、ハダーズフィールドで2度のリーグ制覇に貢献し、評価を得ていたハーバートチャップマンが指揮をとってから、オフサイドルールの改訂も彼の戦術には有利に働き、ガナーズはスピードのあるカウンターフットボールで一時代を築く。


また、彼の提案でナイトゲームを敢行したのをガナーズが最初であり、ロンドンの地下鉄ピカデリーラインに属し、彼等のホームスタジアムがある、ハイバリー周辺駅、ギレスピーロードをアーセナルに、ロンドン都市交通省に頼んで、変更してもらったのもちょうどこの時期だった。




退屈なチーム


その後、後にガナーズの黄金期に手腕を発揮する、中盤の職人ジョージグレアム(神経質ハゲ)を要して、一時、名門復活の予感を感じさせるが、多くの評論家の予想道理、また低迷を続けることになる。80年代の後半に、ジョージグレアムを監督として迎え、名門復活に期待がかかった。“Boring”と皮肉られる程、強固なDF主義に徹したグレアム。だが、その戦術が見事にハマり、奇跡の終了1分前のマイケルトーマスのゴールで、リバプールを撃破し、久し振りのリーグ制覇に酔う。


1991年シーズンは、彼等の“退屈さ”が如実に示されてシーズンでもあった。僅か18ゴールでこの年のリーグを征するのだから。ジョージグレアムの黄金時代も、ピッチ上の問題ではなく、ピッチ外での問題でその幕を遂げることになる。世に言われている、北欧人からの裏金の問題である。その後、ガナーズは英国フットボール選手に長く蔓延すると言われている、“お酒文化”の悪影響を受け、ポールマーソンや、トニーアダムズと言ったアル中を産み出し、ダークなイメージが付きまとうことになる。クラブ側は、このイメージを一新したいと、新しいスマートな監督探しに奔走するのであった。




フレンチコネクション


当時、リネカーミルン症候群が抜け切れない極東の自動車メーカーが支援するグランパスエイトで手腕を振い、今でも日本に来たフットボール宣教師の中でも一番だったと評価の高い、アルセーヌベンゲルに白羽の矢が刺さることになる。プレミアリーグ発足後、急激にグローバル化が進んでいたプレミアリーグにあって、他国の監督が指揮をとることは当然避けられない時代の流れであったが、当時、プレミアリーグでプレーする選手達の間には彼の徹底した自己管理に不満の声も多く聞こえていた。


フットボール選手の好きな肉食中心の食生活を改め、バランスのとれた食生活を提唱したのも彼である。彼の、英国人にしては、些か武士道に心を奪われた仏蘭西人ような、一種ストイック過ぎる徹底した管理指導スタイルに、懐疑論が広がる。しかし、この懐疑論を払拭するのに、そう時間は必要なかった。就任2年目でFAカップ、リーグ制覇の2冠をニューカッスル相手に決勝で快勝、ライバルのマンチェスターユナイテッドを、怒涛の13連勝などの終盤の猛チャージによって撃破し、達成。彼の手腕が大きく開花した時でもあった。




ベンゲルが行った、母国フランスからの有望な選手を青田買いする、俗に言われる、“フレンチコネクション”は、一部から非難を買う。しかし、ユベントスから譲り受けた、ティエリアンリの英国での活躍は、彼のアシストがあって、成し得たことなのは違い無いことであろう。




ネガティブキャンペーン


ライバルマンチェスターユナイテッドの監督、アレックスファーガソンとの、ネガティブキャンペーンは、朝のタブロイド紙を賑わす。赤紙コレクターのチームのグランドでの湯沸かし器は、絶間なく沸騰しているのが現状だ。しかし、彼は、お湯を沸かす事をやめたりしない。あえて、新たな薪を加え、チームの指揮を高める、知的の中にも、戦うフランス人のようだ。




新たな時代へ


彼らにとって、ハイバリーに取って代わる、モダンなスタジアム建設の悲願が、今、エミレーツスタジアム完成と共に、達成されようとしている。しかし、この巨大プロジェクトによるクラブ財政への弊害も大きく、満足な選手補強ができないジレンマが続いている。



2007/03/15 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | アーセナル
デビッドベッカム



英語「David Beckham」その甘いルックスで、メディアのお気に入りのイングランド代表のフットボール選手。妻は、一時期、英国のポップカルチャーを担った、スパイスガールズ(現在、解散)のメンバーだった、ビクトリアアダムス?


生い立ち


BBCのTV番組、Blue Peterの告知で知った、ボビーチャールトンが主催する大会で見事な才能を見せ付けた、彼は、直ぐに、当時から優秀と評価の高かったマンチェスターユナイテッド?のユースに誘いを受ける。ガス工事屋の度々メディアに愛想を振りまく御気楽な父と、彼のお洒落センスの発端を垣間見るような、ヘアードレッサーの母(笑)から 離れ、北のマンチェスターと言う地で、多感な青年期を過ごす。




彼がロンドンの生まれであることは、彼の呟き口調からも分かる通り、北アクセントがないことでも明らかだ。彼の自叙伝的な写真集には、幼い頃から赤い悪魔の大ファンで、それも父親(所謂、コックニーレッド)の影響が強かったと記されている。以前のチームメイトが認めるように練習の虫だった彼は、他のことには無頓着だったらしく、放課後ゴール目掛けて、FKの練習をするような 直向な青年だったらしい。当時の彼を知る友人はこう言う。“英国の男どもは、15歳になると皆ディスコや、酒場にいってお酒の味を覚え始めるものさ。しかし、奴は違ったね。奴にとってのディスコは公園で、お酒の代わりがサッカーボールだったってことさ” ベッカムは当時のことについてこう振り返る。“僕の青春時代は、フットボールのことだけしか頭になかったって言っても過言ではないね。当然、この夢(マンチェスターユナイテッドでプレーすること)の為に多くを犠牲にして来た。しかし、後悔はしてない。今の自分があるのもこの時期のおかげだと思っているからね。


ビクトリアとの出会い


愛妻、90年代の馬鹿御気楽な英国が産み落した、女性コーラスグループのメンバー、ビクトリアを初めて見たのはネビル兄弟の兄が持って来たスパイスガールズのビデヲをみた時。他の選手はエマ派だったらしいが、この愚直な青年は、すこし不細工なビクトリアに、ゾッコン。あの黒髪の女の子いいねの発言に、チームメイトから非難の声があがったと言うことだ。また、ビクトリアの方も、彼女が無意識に、フットボール雑誌に載っていた数あるプレーヤーの写真の中で、ベッカムくんの写真を選んでいたことを回想して、こう言う。“彼について其の当時全く知識がなかったんだけどね。でも、写真からでも伝わって来たのよね。こう、なんて言うか、“私の理想のタイプ”ってね”


 


ビクトリアは1997年の3月15日のシェフィールドvsマンチェスターの試合を、同じメンバーのメラニーCに誘われて見に行った。(この時までに、既にチェルシー戦で彼等は一回面識を持っていたと言うことだ。ベッカムくんはこのチェルシー戦後の二人っきりの時間、持ち前の内気な性格が災いして、何もできなかったとこう愚痴る。“夢にまで見た瞬間だったのに。僕はこの瞬間を台無しにしてしまったんだ”)この時、彼女は眼鏡を忘れて、お目当てのベッカムくんが確認できないまま、試合後彼の元に、プレーを賞賛する為に向う。(笑)彼女はこの夜が二人の仲を親密にしたと後に振り返る。“彼は有名人なのに、とても不器用な男だったのよね。それで、私ったら。なんかそのギャップにメロメロになったみたいで”


フランスWCの後


彼の元には、アルゼンチン戦での退場で英国全員を敵にまわしたあの、ワールドカップ98以来、パパラッチが無数に張込む。当然彼等とのトラブルは絶えない状態だった。後ろから追ってくる車を振切る為にスピード狂に凶変したと、そのスピード違反について弁解をする彼だが・・・カルフォルニアでの家族揃っての旅行にも、パパラッチさんは、彼等の宿泊先まで張り込む熱の入れよう。あまりにもの無防御な休日での写真(アメリカでのGAPストアーでの買い物写真が有名)が連日大衆紙を賑わすことに疑問を持った英国市民は、わざと写真を提供して、自分達をグラマラスに演出してんじゃないの?って言う疑惑まで出る始末。この時期、彼は英国の嫌われ者だったことは、否定できない。


2002年のワールドカップ予選(ギリシャ戦)での彼の劇的なFKに、英国国民は彼のこれまでの過去を都合良く、または潔くよく忘れ去った。国民は、彼を神と称え、大衆紙は、彼を、救世主だと書き立てる。ほんの数年前には、考えられない出来事だ。




愛妻家?


この嫁の才能のなさは、チャーリーズエンジェルのオーディションに落っこちたことでも有名。彼女の言い分は、“なんか、人種の壁があったみたいね”って発言するが・・・それは、彼女の演技力に大きな問題があると、巷での評。彼女の出す新曲御披露目アクトにVTRで応援メッセージを入れたり、ブルックリンくんを母乳で育てると、アンチ遺伝子組み換え食品姿勢をまざまざと見せつける、ビクトリア嬢の育児を手伝ったりと、積極的に育児に参加する花丸な満点パパを演じる彼であるが。時たま、その子煩悩が裏目に出ること度々で、これで練習をサボって、アレックスファーガソン監督から大目玉を喰らうことが度々起こる。




このグラマラスカップルを載せておけばその雑誌の売り上げが伸びると言う、メディアには有り難き存在であった、彼等の神話も徐々に薄れて行く傾向にある。見た目はそれなりに良いが、中身がないお馬鹿カップルだととうとう勘付かれたのか?最近、彼等を特集した雑誌の売り上げは些か、芳しく無い御様子。(笑)


マンチェスターとの決別


マンチェスターのよどんだ空は、元ポップスターの妻には、退屈な産物だった。彼等は、ロンドン郊外に別名、ベッキンガム宮殿と言われる、藁葺き小屋を作った。ロンドンでのナイトライフは、彼等を魅了し、もう、マンチェスターは単なる仕事場ぐらいにしか思っていなかっただろうか?先の度重なる個人プレーは日に日に、エスカレートする。マンチェスターユナイテッド?監督アレックス・ファーガソンは、とうとう、ノーマン・ホワイトサイドの時のように、スパイクを投付けると同時に、彼に決断をくだすことになる。それは、彼の愛してやまないはずだった、デビッドベッカムとの決別だった。彼は、新しい活動拠点を求めて、スペインの地に渡った。そして、このクラブの素敵な陳列棚の一つとして、輝きを放っているようだ。




消費文化が極端に進んだ、狂った英国経済の、文字道理、アイコンとなった彼は、このにわか景気と共に、破裂しないことを願い、その活動をアジアに向け、今でも、彼のバブルは続いているのは、なんとも皮肉なことだ。



2007/03/12 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | マンチェスターユナイテッド
世界の日本人ジョーク集(Joke to wretched Japan)
 
世界の日本人ジョーク集
早坂 隆
中央公論新社 (2006/01)
売り上げランキング: 87
おすすめ度の平均: 4.0
1 偏見を笑うか学ぶか
4 思わず苦笑い
5 慰安婦問題の全容を知ってほしい





この著書(ルーマニア・マンホール生活者たちの記録)で、ルーマニアで現地取材した経験があると言う、変り種。それに興味を持って、先の書籍を読む前に、今、少し話題のこちらから呼んだ。日本人に対する他の国の人が持つイメージの個所で、所々、ルーマニア人の話が出てくる。ある意味、私も、何がそうしたのか?自分でもあの時期のことは定かではないが。(ある意味、9・11の事件以来、世界はどんなもんなんだろうと、何所でも良いから行きたかったかもしれない)そして、ルーマニアに数週間滞在した。ブカレストからオンボロ列車で、数時間行った場所で、見知らぬ白人、イギリス人(頼りない30歳後半の電気技師らしい、リバプール出身、スティーブ、如何にも英国人ぼい、50歳前半の厳格なバツ2、ジョン)スウェーデン人(二人とも、アイリーンと言う、20歳前半の若いヒッピー系ベジタリアン女性)と生活を共にしていた。本当に名もないちっぽけな場所での共同生活。観光も何もしない、海外旅行。ある意味、良い経験だった。


 著書に出てくる、ジャポネーゼのルーマニアでのイメージは、やはり、ハイテク、お金持ち、忙しい。忙しいは、通勤ラッシュの話が出て、駅員に電車の中にところてんのように押し込まれる状況をしきりに、感慨深げに僕に喋って来た。ストリートチルドレンの高齢化は、その当時の問題だったし、駅にたむろする、暗い影は、観光客に少し恐怖心を植え付ける存在で、共産時代の負けの遺産を醸し出していた。今のルーマニアはどないなんやろう?EUに参加することで、急速に近代化に乗り出し、付いてこれない人々も多いと聞く。イラクの多国籍軍への参加を真っ先に表明した、ある意味、他の東欧各国のアメリカ寄りの姿勢に追随する。

 皆、あの革命が良かった、ありがとう資本主義なんて思ってない。現在でもその政治姿勢は怪しい、きな臭い物だし。唯一、良かったのは?世界的に(日本人的に)ルーマニアと聞いて、浮かぶイメージに、血生臭い革命が浮かぶことで、コマネチや、ドラキュラよりも、少し現実的な印象に貢献したことぐらいか?(笑)
 
 しかし、何故?ルーマニアが日本の世界的イメージの例として、語られるのか?少し、違和感はあるが、ある意味、面白い。結局、アメリカ人よりは、適切な世界感を少しは持ち合わせているに違いないからだ。(皮肉)




2007/03/11 11:57 | Comments(0) | TrackBack() | 徒然
ぼくのプレミアライフ、英語題「Fever pitch」

ぼくのプレミア・ライフ


小説家ニック・ホーンビィは自らの処女作で、“アーセナルはこの地球上に愛される為にうまれてきたのではない”と、自らの偏狭的な愛を語った。この自叙伝とも言える、彼のフットボールへの愛情の注ぎ具合は、まさに、Football is my lifeを体現化するものである。後に、映画化される、この作品は、原作とは異なり、アーセナルのリーグ優勝シーズン1988-89に特化し、また、恋愛模様を重要化するといった、世俗化の傾向が見られ、2005年には、この作品は、フットボールをベースボールに変えると言った形で、アメリカ版""Fever pitch"" が制作されると、その一部分だけの過剰な大衆化が危惧される。


彼は、ケンブリッジ時代には、アーセナルと相反する、彼曰く、”同じ宇宙にいない”と言った、正当な理由で、ケンブリッジユナイテッドにお熱になる。そして、英国では、エリートの逃げの仕事?で有名な教師をしながら、ヒルズボロの悲劇に遭遇すると言った、英国フットボール史を彼なりの視点で描いた。所謂、ロンドンの裕福層のフットボールへの接し方と言うべきか?それしか楽しみがない、北部のファンとは少し接し方が違っているように思える。ヒルズボロを出すのは、フットボールファンのあの当時の哀愁に触れる絶好のキーワードで、英国社会の最悪な時代を呼び起こし、ファン並びに、国民に感動を与えたに違いない。彼の人生が、アーセナルなら、今世紀に入ってから、黄金の時代だったのだろうか?しかし、彼の愛するクラブは、彼の遺灰を埋めて欲しいと願った、ハイバリースタジアムを去り、莫大な借金をしながら、新しいスタジアムへと、更なる躍進を目指している。彼も、同時に、世界へとその、普遍的な文体で乗り出すのであろうか?いや、彼は、あくまでもマニアックであり、固執狂で居て欲しい。



2007/03/05 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | アーセナル
ヨーロッパスタジアムガイド


初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅 (生活人新書)

初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅 (生活人新書)









 昨年、世界中が熱狂した、WCが終わって、メディアの旨味だった、某選手も引退。現代表監督の、海外でプレーイコール、代表に最も近い道と言う概念の否定。果たして、昨今、欧州フットボールは、日本のメディアにとって美味しいネタなのだろうか?最近、このような、スタジアムガイドブック?エッセー的な本を手に取ってみた。初版が、八月十日となっているから、WC後の大会フォロワーの欧州フットボール観戦需要を見込んでの物に違いない。結局、エッセーだけにするべきだ。誰も、これをみて、スタジアムのアクセスを参考にする筈がない。欧州の交通アクセスは、一筋縄ではいかない。(笑)ある程度の知識を入れ、ブッツケ本番みたいな面が多々存在する。どうしても入れたいのなら、後に注釈で入れるべきだ。このアクセスの行を除外すると、其のクラブの簡単な歴史、作者の其のクラブにまつわる体験談などが、あるが、どうだろうか?ビギナー向けの女性なら、この記事でOKなのだろうけど。欧州フットボールにある程度精通している族なら、スペインのバラバラな国民性、オランダフットボールのパーティーアニマルな一面。ドイツの文字通り、イモ的価値観など、理解の上だ。


タイトルがタイトルなので、仕方ないか?イタリアフットボールの闇の部分なんて、書いても、何ページあっても、きりが無いし。無くても、イタリアの景色を堪能する一部分として、刈るチョーを楽しめば良い的なスタンスはあっても良いし。女性一人でもダイジョーブなどとあるが、世界では珍しい、女性のフットボール観戦と言う提案を勧めるメディアも珍しい。(笑)ある意味、欧州フットボール観戦に足を入れる人種は、2月の観光シーズンオフの時期に、丁度、そのトーナメントが白熱する、CL観戦の為に、激安航空券片手に乗り込む、学生。そして、観光次いでのOL以外いないと言うことなのだろうか?その裾野は、意外と狭い訳である。(笑)


少し、古いが、十分に使える、欧州観戦の為のバイブルは、欧州サッカー60都市現地観戦ハンドブック2000 ヨーロピアンフットボール (新書) だと、思っている。(笑)




この時折、小馬鹿にしたような、皮肉めいた文面は、向こうの記事を直接翻訳したからに違いない。時折、少し、理解不能な面もあるが、ある程度の欧州フットボール通なら、ブッと噴出すこと間違いない。こういうフットボールカルチャーは、まだ日本にはないのか?


最初に挙げた本は、スタジアムで東洋人が触れた感動的なエピソードなど、フットボールを通じての異文化交流を綴っていたが、それもマンネリ。ある程度の知識でもって、グッと込上げるニヒルな笑い。そんな文化が、フットボールにはある。特に、筆者は、英国フットボールの封鎖的な面を強調していたが、それは、彼等のフットボールはIN的な物で、決して、OUT的な物ではないからだ。 


最後に気になったので、書くが。最初に挙げた本の作者は、ヘイゼルやヒルズボロをリバプールサポが引き起こしたと、書いてある。この文面は、やや配慮に欠ける。この本を英国で出版したなら、マージーサイドの書店は置いてくれないだろう。(笑)フットボール書物を書く場合、偏った観点から書いてしまう。それは、仕方がない。公平なメディアなんて、元来存在しないのだから。



2007/03/01 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | 書籍
仁義なき英国タブロイド伝説




仁義なき英国タブロイド伝説 (新潮新書)

仁義なき英国タブロイド伝説 (新潮新書)



  • 作者: 山本浩

  • 出版社/メーカー: 新潮社

  • 発売日: 2004/12/16

  • メディア: 新書








軽く読める内容だが、奥は深いような気がする。ちょっと見方を変えると、NHKロンドン支局の特派員時代の筆者の、英国メディアの重要な位置を占めるタブロイドに思いを馳せる、回想本だと思ってしまう。御高いジャーナリズムなぞ、案外薄っぺらな幻想で、市民が楽しみにしているゴシップにあると言う原点を思い起こしてくれる。(笑)その意味で、ジャーナリズムの正義なぞ、薄い物かもしれない。ベッカムネタはこの本では、旬なので入れておくべき項目なのだが、少し尻切れトンボな感じがする。レベッカルイーズのその後は、リアルTV出演での豚のマスターベーション。母国オランダでのTVプレゼンターの失敗。売名行為タレントとして、英国のセレブ界に必死に残ろうと話題作りに試行錯誤である。(笑)その後、ベッカムネタは、タブロイドの購買マシーンとして、機能してるのか?と尋ねられると、少し考えてしまう。もう、一通りのネタが出尽くした感じがしないでもない。基本的に、サンは下品で嫌いだと言う管理者の見解はこの本で一層強くなった。(笑)しかし、現在のミラーの地味な姿勢とは裏腹、かつては栄光を楽しんでいたとは、知らなかった。フォークランド紛争への記事は、まさに、サンお得意な見出しだ。戦争の機関紙として、その重要な機能を果たすサンの伝統は、湾岸戦争、イラク戦争でもそのスタンスは変わらないのだが、あんまり頭が良い人が読む物ではないと思うので、拒否反応を起こしてしまう。最近の高級紙タイムズの没落振りは、マードックメディアとして、仕方がない結果ではあるが、彼が、英国のメディアを牛耳っていることには変わりはない。共産主義ベッタリではないが、ある程度社会性がある、ミラーの方がタブロイドの王道を行ってるサンよりかは、好感が持てるだけである。


因みに、サン紙とリバプールサポとの犬猿の仲は、有名だが。そこでも、サンの下品さが如実に現れている。(笑)詳しくは、ヒルズボロの項目を参照。



2007/03/01 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | 書籍
Slow media is somehow bad ?
HDを初期化しようと、試みると。あら不思議、某メーカーの大名うんひゃらが、壊れる。最初、BackupCDを疑って(出荷されたHDに、バックアップの領域が存在して、個人で、DVDメディアに記録して、DVDメディア代を浮かす苦肉の策なのかは、知らない、面倒な方式)自作の、バックアップがちゃんと記録されてないのじゃないかと疑った私は、正規のバックアップが存在すると、カスタマーで聞いたので、購入。黒猫が翌日持って来てくれた。しかし、どうも、内臓HDが壊れたご様子なので、どうするべきか?仕方なく、以前使っていた、今は名前も消えようとしている、Thinkp**を、OS.W98と、operaで使っている。500MHzのCPUで何ができるのか?しかし、結構、ことは足りてる。(笑)暫く、このままなのか?しかし、あのM社の新しいOSは本当に必要なのか?と思う。なんか、進んでるようで、メディア界も結構動きが遅い感じがするし。ハイスペックパソコンなんて、TVを付けて無理に其れっぽく見せてるけど、中身は結構昔とやれること変わらないような。 某、ビールメイカーのCMで、Tarzan boyの印象的なサンプリングが使われていた。(笑)ユーロビート世代が、CMを企画する時代になったのか?次は、ここら辺が使われそうな予感。(笑)

2007/02/26 13:56 | Comments(0) | TrackBack() | 徒然

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