英語「Gunners」ロンドンにホームを持つ、イングランド、プレミアリーグ所属のフットボールチーム、アーセナルの愛称。
彼らの発祥が軍事工場であったことが、この愛称の起源だとされている。因みに、英国タブロイド紙のお得意は、「Gunners」をアメリカ的綴り、「Gonna」に置き換えることにあり。紙面を良く飾る。
歴史
アーセナル、通称ガナーズと言われているこのチームは、ロンドン聖職者の余暇クラブとして発展した多くのクラブと違い、特需の為に建設された軍事工場のスコットランド系“労働者階級”が集まって産声をあげたロンドンの中では泥臭い部類のクラブだと言われている。北部で既に始まっていた職業フットボールの波を南部で逸早く取り入れられたのも、この歴史が大きく影響しているのは否定できない。北部の労働者階級で結成された職業選手達で形成されるクラブ達の躍進と同時に、彼等も南部では敵無しと言う無敵さを誇っていた。 第一次世界大戦後、当時財政難で2部降格していた彼等であったが、拡大する1部リーグに同じロンドンに本拠地を構える、スパーズの犠牲のもと、参加させてもらえることになる。その後、彼等は1部、プレミアと降格の経験はない。ノーサンプトンとリーズで指揮した後、ハダーズフィールドで2度のリーグ制覇に貢献し、評価を得ていたハーバートチャップマンが指揮をとってから、オフサイドルールの改訂も彼の戦術には有利に働き、ガナーズはスピードのあるカウンターフットボールで一時代を築く。
また、彼の提案でナイトゲームを敢行したのをガナーズが最初であり、ロンドンの地下鉄ピカデリーラインに属し、彼等のホームスタジアムがある、ハイバリー周辺駅、ギレスピーロードをアーセナルに、ロンドン都市交通省に頼んで、変更してもらったのもちょうどこの時期だった。
退屈なチーム
その後、後にガナーズの黄金期に手腕を発揮する、中盤の職人ジョージグレアム(神経質ハゲ)を要して、一時、名門復活の予感を感じさせるが、多くの評論家の予想道理、また低迷を続けることになる。80年代の後半に、ジョージグレアムを監督として迎え、名門復活に期待がかかった。“Boring”と皮肉られる程、強固なDF主義に徹したグレアム。だが、その戦術が見事にハマり、奇跡の終了1分前のマイケルトーマスのゴールで、リバプールを撃破し、久し振りのリーグ制覇に酔う。
1991年シーズンは、彼等の“退屈さ”が如実に示されてシーズンでもあった。僅か18ゴールでこの年のリーグを征するのだから。ジョージグレアムの黄金時代も、ピッチ上の問題ではなく、ピッチ外での問題でその幕を遂げることになる。世に言われている、北欧人からの裏金の問題である。その後、ガナーズは英国フットボール選手に長く蔓延すると言われている、“お酒文化”の悪影響を受け、ポールマーソンや、トニーアダムズと言ったアル中を産み出し、ダークなイメージが付きまとうことになる。クラブ側は、このイメージを一新したいと、新しいスマートな監督探しに奔走するのであった。
フレンチコネクション
当時、リネカーミルン症候群が抜け切れない極東の自動車メーカーが支援するグランパスエイトで手腕を振い、今でも日本に来たフットボール宣教師の中でも一番だったと評価の高い、アルセーヌベンゲルに白羽の矢が刺さることになる。プレミアリーグ発足後、急激にグローバル化が進んでいたプレミアリーグにあって、他国の監督が指揮をとることは当然避けられない時代の流れであったが、当時、プレミアリーグでプレーする選手達の間には彼の徹底した自己管理に不満の声も多く聞こえていた。
フットボール選手の好きな肉食中心の食生活を改め、バランスのとれた食生活を提唱したのも彼である。彼の、英国人にしては、些か武士道に心を奪われた仏蘭西人ような、一種ストイック過ぎる徹底した管理指導スタイルに、懐疑論が広がる。しかし、この懐疑論を払拭するのに、そう時間は必要なかった。就任2年目でFAカップ、リーグ制覇の2冠をニューカッスル相手に決勝で快勝、ライバルのマンチェスターユナイテッドを、怒涛の13連勝などの終盤の猛チャージによって撃破し、達成。彼の手腕が大きく開花した時でもあった。
ベンゲルが行った、母国フランスからの有望な選手を青田買いする、俗に言われる、“フレンチコネクション”は、一部から非難を買う。しかし、ユベントスから譲り受けた、ティエリアンリの英国での活躍は、彼のアシストがあって、成し得たことなのは違い無いことであろう。
ネガティブキャンペーン
ライバルマンチェスターユナイテッドの監督、アレックスファーガソンとの、ネガティブキャンペーンは、朝のタブロイド紙を賑わす。赤紙コレクターのチームのグランドでの湯沸かし器は、絶間なく沸騰しているのが現状だ。しかし、彼は、お湯を沸かす事をやめたりしない。あえて、新たな薪を加え、チームの指揮を高める、知的の中にも、戦うフランス人のようだ。
新たな時代へ
彼らにとって、ハイバリーに取って代わる、モダンなスタジアム建設の悲願が、今、エミレーツスタジアム完成と共に、達成されようとしている。しかし、この巨大プロジェクトによるクラブ財政への弊害も大きく、満足な選手補強ができないジレンマが続いている。
小説家ニック・ホーンビィは自らの処女作で、“アーセナルはこの地球上に愛される為にうまれてきたのではない”と、自らの偏狭的な愛を語った。この自叙伝とも言える、彼のフットボールへの愛情の注ぎ具合は、まさに、Football is my lifeを体現化するものである。後に、映画化される、この作品は、原作とは異なり、アーセナルのリーグ優勝シーズン1988-89に特化し、また、恋愛模様を重要化するといった、世俗化の傾向が見られ、2005年には、この作品は、フットボールをベースボールに変えると言った形で、アメリカ版""Fever pitch"" が制作されると、その一部分だけの過剰な大衆化が危惧される。
彼は、ケンブリッジ時代には、アーセナルと相反する、彼曰く、”同じ宇宙にいない”と言った、正当な理由で、ケンブリッジユナイテッドにお熱になる。そして、英国では、エリートの逃げの仕事?で有名な教師をしながら、ヒルズボロの悲劇に遭遇すると言った、英国フットボール史を彼なりの視点で描いた。所謂、ロンドンの裕福層のフットボールへの接し方と言うべきか?それしか楽しみがない、北部のファンとは少し接し方が違っているように思える。ヒルズボロを出すのは、フットボールファンのあの当時の哀愁に触れる絶好のキーワードで、英国社会の最悪な時代を呼び起こし、ファン並びに、国民に感動を与えたに違いない。彼の人生が、アーセナルなら、今世紀に入ってから、黄金の時代だったのだろうか?しかし、彼の愛するクラブは、彼の遺灰を埋めて欲しいと願った、ハイバリースタジアムを去り、莫大な借金をしながら、新しいスタジアムへと、更なる躍進を目指している。彼も、同時に、世界へとその、普遍的な文体で乗り出すのであろうか?いや、彼は、あくまでもマニアックであり、固執狂で居て欲しい。
英語「Emirates Stadium」2006年-07年シーズンからの使用に向けて建設中の、アーセナルの新しいホームスタジアム。
始めに
2006−07年シーズンまでの移転に向けてハイバリーからさほど離れていないASHBURTON GROVEに建設中の、6万人を収容できるスタジアムは、建設までに数々の苦難を味わって来た。この巨大な建設計画は、スタジアム建設以上に、それを取り巻く環境に左右され続けていると言っても過言ではない。再三の見直し計画は、当初の建設資金を莫大な物にしてしまい、その借金返済に、彼らは奮闘しなければならない運命を背負わされる。
当初、些か、老朽化した今の3万人規模のスタジアムからの移転先の捜索は、ウェンブレースタジアムの使用も視野に入れてのスターとだった。しかし、彼らが自らのスタジアムを確保する道を選ぶのにはそんなに、時間は必要ではなかった。問題は、建設地の確保であり、ロンドンにあってそれは、少し難しい難題に思えた。実際、総額費用、4億ポンドの内、スタジアム建設に当てられるのは、1億2千5百万ポンドでありその殆どが移転などの環境整理費に使用されたことになる。
ASHBURTON GROVEには、市当局が管理する、ゴミ焼却施設が存在しており、その移転先の確保に、まず、彼らは奮闘しなければならなかった。レイルトラック社からの、Lough Roadの土地を新たに購入する形で、この施設を移転させる場所を確保する。余った土地は、住宅地を建設して、スタジアムの建設資金に当てられる。それは、ハイバリースタジアムのスタンドを利用した、モダンな住宅地にする計画と統一性を帯びている。ハリバリーのArt Decoスタンドは、モダンな移住空間へと変貌し、選手がプレーしていたピッチは、植物などが埋められ、壮大な庭に変わると言う。
新しいスタジアムの総面積は、27エーカーと、マンチェスターユナイテッドの100エーカーと比べるとやや劣るが、彼らの交通手段が、隣接する公共機関に70パーセント頼っていることを考えると、十分と言える敷地面積だと言われている。スタジアム建設に際して、環境面に配慮した取り組みである、取り壊された資材の再利用は、廃材の70パーセント削減を実現できる、積極的な試みであり。雨水を利用する、灌漑システムは、エコなスタジアム作りの先駆けになる可能性を期待させる。
資金難
大きな問題の資金集めでの莫大な銀行への借金返済では、大量の社債を発行することで、十分に補えると、彼らは鼻息が荒い。また、この一環として、彼らはスタジアムの名前を中東の航空会社、エミレーツに貸し出すことに合意した。これは、古くからの伝統、チームの英雄の名前を使用するものから逸脱するものだと、非難を浴びるが、それも、今の商業化されたフットボールにおいて、仕方が無いものだとする動きも大きい。彼らとの契約は、15年間で、1億ポンドと言う破格な物であり、今の彼らにとっては、咽から手が出るほど欲しい物だった。一部の投資家の間では、彼らのバランスシートに取り込まれた、資産の中で、フットボール選手の存在が疑問視されている。これは、怪我などにより不確かな要素が大きい選手を資産として考慮するべきかの是非であり、果たして彼らのバランスシートは健全なものなのか?その議論は続くであろう。
スタジアムの新設は、観客席の増加を生み、そこから発生される、自然発生的な動員数の伸びに期待する彼らは、年間で、現在の1億1千5百万ポンドから、1億7千万ポンドまで伸びると考え、その数字は彼らの莫大な借金返済能力への大きな裏づけになっている。しかし、観客動員での収入に頼る、シーズンチケットの大幅な値上げは、ファンの間での不信感は根強い。
FIFA会長、ブラッターは、どうやら、彼の矛先をアーセナルのデイビッド・デインに向けたようだ。G14と、FIFAならびに、UEFAの対立は以前に紹介したが、この対立の次のラウンドの鐘が鳴り響きそうな勢いである。と、ここまでは、私の個人的な推測でしかない。あくまでも、アーセナルの裏金の問題は、存在が明らかでない子会社を通じて流れていることは、しきりに囁かれていた訳であり、今回に限ったことではない。アーセナルの健全な経営、バランスシートの清潔さと言う、些か迷信じみた、まやかしは、昔から怪しかったのである。
エミレーツスタジアム計画を強行に進める時、それは、明らかになりつつあった)今回のコートジボワールからの言わば、人身売買じみたケースは、アーセナルの監督、ベンゲルのカンヌ時代までに遡ることになる。当時、駈け出しのベンゲルにアシスタントとしての仕事を与えたのがこの人物だ。ギユー氏は、アフリカ大陸には、まだ、ダイヤモンドの原石が無数に転がっていると、確信し、この地にアカデミーを作ることをベンゲルに打診する。ベンゲルはそのアイディアに賛同し、ASモナコ時代、彼はこの事業に、資金援助をすることになる。ここで行った、将来の投資は、300パーセントの利回りを見込まれる、言わば、金融派生商品みたいな物だ。当然、ベンゲルがモナコを去るとき、この事業の資金援助は途絶えることになる。しかし、彼らのコネクションは、ベンゲルのポケットマネーによって、継続することになる。
ベルギーは、他の欧州国とはことなり、移民規定がやや、緩めに設定されている。英国などでは、ワークパーミットの規定を厳しく設定する傾向にある。ある程度のフル代表の経験を要求されるので、多くの若い選手の障害になるケースが多く存在する。この事業は、この規定が緩やかな場所で行う必要があったのだ。
事の発端は、ベルギー北部、オランダとの国境に近い、デンデルモンテ当局が、ベルギークラブ、ベーヴュランの不思議な金の流れに対して、調査に乗り出したことによる。当初、マフィアの関連を疑ったが(ある意味、ここでも人身売買のケースが見え隠れする)、調査を続けていくうちに、その資金は、ある会社からの物であって、その会社を調べて行くうちに、背後に英国のプレミアリーグクラブ、アーセナルの名前が浮かび挙がって来た。この事実に、英国の国営放送、BBCの番組、ニュースナイトが噛み付いたのだ。(尚、この一件は、マフィアの関与が除外された後、当局の調査は打ち切られることになり、全ては、FIFAのサジ加減に委ねられることになった)
この番組では、アーセナルの関連会社創設当時に於ける書類に、アーセナルの影の実力者デイビッド・デイン氏のサインが記されていることを公開。彼の大きな関与を仄めかした。(ある意味、自殺行為だとも思えるが)この関連会社ゴールを通して、孫会社を巧みに創設。この会社は、先のベーヴュランの株を所有しており、実質支配下にあるのだが、これは、大きな問題になる。フットボール界では、2つのクラブを同時に支配することは、禁止されているのである。
FIFAは、この件は、アーセナルが所属する英国、FAの積極的な関与が必要だと、参加を促している。FAの規定では、複数の国内のチームに影響力を持つことを禁止しているだけで、国外には、その規定は及ばない。しかし、FIFAのルールでは、その範囲が、世界中に拡大されるのだ。
アーセナル側のこの件に関しての、声明は、一貫して、あくまでも、友好関係での提携であり、このクラブを支配するようなことはありえないと、反論。上の書簡に対しても、潰れかかったあるクラブを救済する、慈善目的以外何物でもないと、否定する。(当初は、寄付すらしていないと、完全否定だったが、書簡がメディアにお披露目されては、無視することはできなかったようだ)しかし、ベーヴュランの状況は、最近、キナ臭い。ベンゲルのビジネスパートナーである、ギユー氏がこのクラブの監督に就任したことまでは、ある意味、彼らの友好関係の一つだと、理解できるが。ベルギーの若手から、突然、コートジボワールの若手に総入れ替えを行ったのである。(これが、ある意味、当局が当初、マフィアとの関連を疑った最大の理由だろう)このクラブの関係者は、証言で、大量に輸入した、コートジボワール選手が移籍することで発生する、利益は、クラブ側には殆ど回ってこなかったと証言している。それは、全体の30パーセントは監督のギユー氏に、60パーセントは、アーセナルの関連会社に、残った10パーセントの配当だけが、クラブ側に寂しく残ったと言う。
皮肉にも、彼らの選手工場としての役割は終わったのであろうか?アーセナルとの関係は打ち切られ、降格からギリギリ逃れたものの。彼らは、賃金の未払いの為に、また、降格の危機に瀕している。(言わば、都合の良いように使われ、捨てられたような物だ)
ギユーは、この年の4月に、行き過ぎた、クラブ経営で、このクラブを離れるが、強かに、第二のコートジボワールを見つける為に、アフリカ大陸の別の地で、アカデミー事業に勤しんでいるようだ。そして、昨今、タイにもその手を伸ばし、アジア市場に目を向けているようだ。
結局、コートジボワールのWC出場の悲願達成には、この一件が大きく関与していることは否定できない。ある意味、この出来事の中で、唯一、賞賛に値する成果だとも言える。後は、ある意味、デリバティブ紛いの何物でもない。多分に、この件での、大きな発展は期待できないであろう。相手が悪すぎる。